以前、運営していたブログでいちばん盛り上がっていたのが恋愛コラムで、 調子に乗って、メルマガまで発行していました。(^_^;) そのときのバッグナンバーです。
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2007年01月24日

あなたがほんとうに愛しているのはだれですか?

今回から、いよいよ『愛のテーマ』がはじまります。

『恋するタマシイ』と題して、神話の時代より人々の関心の深いテーマ「恋愛」について、ちょっと異端テイストでその本質をスババっと探ってゆく試みであります。

これは、古くからの読者の方の提案によるもので、恋のスピリチュアリズムを語らせれば日本一!とまで言っていただけたことから。(アタクシったら、お調子もん!笑)

こんなふうに言っていただけると「愛がすべて!」で突っ走ってきた人生が報われまする。(^^;)
 

しかしながら「恋に生き、恋に死ぬのだ〜!」と息巻いていたのは、今は昔。
ほんとうに恋に死にかけてしまい(爆)、ほうほうのていで立ち上がったからには「恋に死ぬ」のではなくて(笑)、「恋に生き、恋に生かされる」在り方をとことん語りたいと思います。^_^
 (こっ、転んでもタダでは起き上がらないもんっ!)
 

 ほんとうにだれかを好きになるとき…
 わたしたちの中では、何が起こっているのか??


…………スピ的視点のみならず、あの手この手、縦横無尽、神話的、天体的…etc……思いつくかぎりのあらゆる視野を持って、恋という名の本質を見据えてゆきたいのです。


う〜ん、なんだかワクワクしてきました〜!(^o^)/

太古の昔から、神も人も、その心をとらえて離さず、人生や歴史をも大きく動かすきっかけとなったのが恋。
 
『恋するタマシイ』……どうぞ、末永〜く お楽しみくださいませ。^_^


       †


まずは、手始めに、話題の愛ルケ見に行って感想文書くのもおもしろいかも〜とも、(半分本気で…笑)思いましたが、どうも一人で鑑賞するには敷居が高く、やめました。

そんなわけですが、まずは記念すべき一回目は、わたしが常日ごろから感じている「恋愛は幻想なり〜」(笑)ってお話しをしてみようと思います。(^_^)



まずはズバッと結論から。

「あなたは人を好きになることはない」

おおっ!いきなり過激発言ですねえ。(^_^)


いえいえ、でも冗談を言ってるんではありません。
わたしたちは、ほんとうのところ他者を好きになることはないのです。

ええ〜?!うそーっ
わたしは、○○くんのことが、本当に本当に死ぬほど好きなのよ〜!!

…と、こうおっしゃるかもしれません。

異論反論、いろいろあるとは思いますが、まあ、最後まで聞いてくださいな。


    †


また結論から話します。

「わたしたちは人を好きになるのではなくて、常に自分に恋をしているのだ」

これが恋愛感情の元の元だと、わたしは思います。

自分が一皮剥けて、新しく生まれ変わることに、人はワクワクするようにできています。
さなぎから蝶に羽化するように、つぼみが花開くように、そんな自分の可能性に対して、人は恋をするのです。

自分を新たにさせてくれる、新しい可能性を感じさせてくれる人に対して、恋愛感情を覚えます。

そんなことないぞぉ〜!
可能性なんか関係なくて、表面だけであっても、若くて美しい人の方がモテルじゃないかー?!
…と、おっしゃるかもしれません。

しかし、これでさえ、わたしは「可能性」に対して、自身に恋をしている結果だと思うのです。

例えば、セクシャルアピールを感じる美しい人に対して恋愛感情を覚えるという場合。

自分のセクシャルである部分が、その相手によって開かれる可能性にワクワクとしているのです。
自分が性的な存在であるということを感じさせてもらえるかもしれない新しい可能性に恋をするのです。

頭のいい人を好きになる場合。
自分が新しい認識を得ることにワクワクしています。


こんなふうに自分が一皮剥けて、新しい自分が花開く可能性に対して恋をすることが、あたかも、相手に対して恋をしているように思えるのです。
だから、相手を好きなようでいても、真実ところ「自分が好きなのです!」 
相手を鏡にして、自分を好きになるという幻想。

これが、恋愛感情の本質、恋愛感情のカラクリ。(^_^)

相手を尊敬しているように思えて、実は自分の可能性に恋をしているなんて、なんて人間は愚かで、そして愛らしいのだろうと、かつての自分を振り返りつつ思います。



このカラクリは、恋愛感情の「タネ明かし」とも言えることなので、独身の方にはごめんなさいです。
今から大いに恋をして結婚したいって方は、ここまでの説明はどうぞ忘れてください。
タネを知りつつ恋をしてても面白くないし、恋を解析するなんてヤボってもんです。
恋をするときは、ずぼっ♪と愛に溺れるせっかくのチャーンス!
ドキドキ、わくわく素敵な日々をお過ごしくださいませ。きゃ〜ん、うらやましいっ(笑)


ただ、恋愛にちょっと疲れた方、あるいは落ち着いて恋について考える余裕のある既婚者の方などは、タネ明かしを知っていると、一過性の感情に振り回されることは少なくなって、恋愛を含めた自分の感情について、(振り回されることなく)じっくりと味わうことができるでしょう。

人を好きになってしまったときに、相手への感情に囚われるのではなくて、脱ぎ捨てようとしている古い自分と、新しい可能性について思索し、開花させるチャンスであることがわかるようになってきます。

人から愛されてしまったとき、相手が自分に対して抱いている幻想について理解が及ぶようになります。
彼が(彼女が)ほんとうに好きになっているのは、自分というより、彼(彼女)自身なのであると。
そして、「慈しむ」という本当の意味が体感できるようになる気がします。

それはスルメのように、噛めば噛むほどの味わい♪うーん、おっとな〜(^o^)/ 


そして、それをしていると、不思議なミラクルが起こります。
自分の(恋愛)感情を通じて、自分の中の深いところから「認識」というべきものが湧いてくるのが実感できるようになるんです!

これって、ちょっと素敵なことでしょう?
一種のチャネリング。
恋愛の対象を通じてではなくて、内なるささやきが「あなた」を励ます声が聞こえるってこと。

恋心を通じて知る究極の信頼。(^_^)

そして、もっとも自然で現実的な、内なるソースとのつながりと発露です。

こういうことが、特別の修行とか訓練ではなくて、現実のふつうの生活に対する認識から下りてくるようになるんですね。

「天を仰ぎ、地に足をつけて生きる」

それは特別のことではなく、だれにでもできる、こんな自然なことなんですね。

「既婚者だからできる 恋心の変容術」 ナンチャッテ〜


    
 ちょっと、面白かったでしょう〜?(^_^)

そんなわけで、これからも『R-30禁』『R-既婚者』『R-すぴ系』指定(笑)の恋愛モノを、ルールなくお送りするつもりです。

恋するタマシイ第2話もどうぞ、お楽しみに〜♪
posted by ミケ at 16:55 | 恋するタマシイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

恋の身土不二の法則

第一話目は恋愛真理の基本のキ?!
恋とは、「相手を鏡にして、自分の可能性に惚れるというという幻想…」…というお話しをしました。


もともとはシンボリズムのメルマガなので、恋のハナシってどうかなあと実はちょっと心配していたのですが(笑)、以前運営していたブログで、しょっちゅうコイバナを展開していた頃からの読者の方も多い事もあってかおおむね好評で「ソレ、すごくわかります」というご意見も、けっこういただきました。
やはり恋の話題は、多くの人の関心事なんですね。(^_^)


そんなところですが、単なる恋愛の心理考にとどまらないのが、このメルマガ。
縦横無尽、奇想天外に、マジカルに「恋すること」を感じて味わって考え抜く試みです。

『恋するタマシイ』第2回目の今回は、コイバナはコイバナでも、原点に戻って?シンボリズム的観点から、恋することについて考えてみたいと思っています。

今回も、飽きさせないわよ〜ん。(^_^)v


   †


メルマガ読者の方はおそらく「身土不二」という言葉を一度は聞かれたことがあるかと思います。

もともとは仏教用語で「しんどふに」と呼び、土地とその土地に住む人は一体であることを説く言葉だそうですが、現代では一般的に「しんどふじ」と呼ばれることの方が多くて、ある土地とそこに住む人々は分け隔てがなく、住んでいるところで育った作物を食べ生活するのが良い──という意味で使われることの方が多いみたいです。

「医食同源」というニュアンスにもだいぶん近いですね。


『恋するタマシイ』のお話に、いきなり「身土不二」って、こはいかに?って感じですが、恋するのなら住んでいる土地の人、日本人なら日本人…

 …なーんて話では決してございません。(笑)


そうではなくて、これがなんとまあ、あてはまるんです。
恋することと身土不二。


さて、どういうことか?

まあ、ゆるゆるとご説明いたしますので、どうぞお付き合いくださいな。^_^


   †


以前ある本に「人が病気になった時には、その人の家の周囲には、その病気の治癒となる植物が生育する」という一節を目にしたことがあります。

これって、まさに身土不二でしょう。

真理とは本来難しいことではなくて、こういったシンプルな在り方のことを指すのではないかなあとわたしは信じているのです。


地上全体で一個の有機体。全体で一つの生命体。
そういう観点でみれば、先の一節は当然ありえることだと思えます。


ウイルスに感染すると、それを阻止すべくインターフェロンがやってくる…

問いと同時に答えがある…… それと同じ在り方ですね。


 (う〜む…むむむ…なんだか、禅問答っぽくなった)


そんなところから、「恋する」感情をみてゆきましょう〜♪


全体で一つの有機体なんですから、あなたがだれかに「恋する」という感情がわき起こった ってことは、それは…

「あなただけの問題ではないんです!」


その波(恋心)は全体に影響を与えているはずです。

全体で一つの生命体であることを前提とするならば、すべては「より健全に」働こうとしている…と考えるのが正当だと思い当たります。


より大らかに考えるのなら、その恋心自体、健やかなる生命体の一反応。
生命の呼吸の一つだと言えないでしょうか?


どういうことかと言えば、一つの恋心がわき起これば、それに対して周囲は一つの有機体の健全な働きとして恋を応援してくれるようになっている──と言えますね。

だって、それが生命の働きだから。
より健やかであろうとする、それが生命体でしょう?


だからその恋が、あまりに障害が多い場合は、生命の働きから外れていることと同義で、その恋の寿命は短いと考えられます。

また逆に、障害が多いはずだったのに、何やらスイスイと問題が解決され、だれも傷つくことなく、あれよあれよと成就した場合は、結果としてそっちの方が全体に対して、より健全であったと言えると思うのです。


障害が、インターフェロンであることもありえます。
そういう場合、好きだからとゴリ押しをすると、インターフェロンが効かなくなっちゃいますね。
そうなるとウイルス感染。
身も心も相当ボロボロになる薄幸の恋に成り果てます。はい。


また、思い込みの激しいおとーさんっ、おかーさんっ、起立っ!(笑)

お嬢さんが、結ばれるべきふさわしい青年と恋をなさって、健やかなる生命のリズムを奏でていらっしゃるところかもしれないのに、自分の価値観を押し付けてやたらと反対するのは、そっちの方が自然の流れに反している可能性も大いにあります。

彼らの恋の障害になっているあなたは、娘さんの恋のインターフェロンの方ではなく、ひょっとしたらウイルスの方かもしれませんぞよ。

あなたの反対が、娘さんの生命力を奪っているとすれば、それが悪巣となり全体の機能を弱めていることと同じなのですから、そちらの方が問題が大きいのです。
お家存続の危機に、遅かれ早かれ陥ることになるでしょう。

(まあそれも現代ですから「お家存続」という価値観そのものが捨てられるチャンスとなるかもしれませんが)


ここでシンボリズム的恋の公式。
人呼んで、恋の身土不二の法則。


 あなたの恋も身土不二。その恋心も全体のひとつ。
 健やかな恋心は全体の機能を高め、障害多しは、いったん止まれ。

  

恋の身土不二の法則を守れば、生命体の働きとしての健全な流れに沿い、追い風に乗り、すべてから応援され、何もかもうまくいきます。……経験者は語る。(^_^)v

恋の身土不二の法則を外れると、有機体の健全な法則からも外れ、悪巣となり全体の機能不全を招き、人も自分も傷つけますのでご注意。……ケーケンシャハ胃カタル…(^^;)


極論!ですが、わたしはいい恋をしていれば、人類に貢献していることにさえつながるような気がするんです。(^_^)

人類に貢献なんて、突然どうしていいかわからないけれど、これならカンタンでしょう?


   †


それにしても、恋愛モードでない時に恋のことを書くって、冷静でいられて、あまり独善にならずには済むけれど、恋して恋歌を詠うワクワク感に比べれば、喜びは半分かも。

…なので、 イノチ短し恋せよ乙女♪ よん。^_^

健やかなるあなたの恋を奨励するワタクシ、ミケさんでありました。


わたしも、もうひと花 咲かせようかしらん〜? (^o^)/

(うそうそっ!
 こういうことを書くと誤解を招くのでやめましょう。はい)


   †


実は、恋の身土不二の法則から、いろんな興味深くておもしろい「実験」ができたり、メソッドが編み出せたりするんです。

それによって自分と周囲の事物とのつながりを知ることができたり、また自分への理解をもっと深めることになってゆくでしょう。


わたしはこれを恋愛モードまっただ中の頃に、たくさん発見しまして、人生の愉しみがだいぶん増えた気がしたものでした。(^_^)


……ですが、これはまた次回。


楽しい恋はもちろんのこと、たとえそれが報われない苦しいものであっても、恋をさまざまな方法で楽しめてしまいます。
しかも、だれかを傷つけたり、迷惑をかけたり、世話になったりするようなことでは一切ないのです。

 ちょっと興味あるでしょう? 


そんなわけで次回は、恋の身土不二の法則の応用編としまして、あなたの恋をひっそりと2倍楽しむメソッドをお話ししたいと思います。
posted by ミケ at 16:58 | 恋するタマシイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

恋心に薔薇が効く!

前回第2話目は「恋の身土不二の法則」と題して、
恋心はすべてと結びついていて、全体に貢献している(あるいは機能不全を招いている)。

…というお話しでしたね。


たかが恋心ですが、ハナシが壮大っちゅうか大げさ…… 


いえいえ違います!

人生を動かし(狂わせ?) 世界を動かし(狂わせ?)てきたのが恋心。

神話の世界でさえ、物語の原動力であり推進力の多くが恋心。

うーーん、むむむ…… あなどれませんね、恋心。


恋を、時には壮大に大らかにとらえ、奇想天外、マジカルに恋のシンボリズムを読み解き、楽しんでしまおうという試みが、この「恋するタマシイ」なのです。


      †


前号で、恋の身土不二の法則から、興味深くておもしろい「実験」ができたり、メソッドが編み出せるという話をしましたね。

恋心もまた「身土不二」なのですから、周囲の事象に関わっているはずです。
だから、自分の身の回りのものが教えてくれていることも多いはずなんですね。

わたしが恋愛モードまっただ中のころに、実験したり、発見したメソッドのひとつを、今日はお話しいたします。
恋の身土不二の法則のまさに応用編です。


     †


恋に悩んでいたころの若き日のミケさんは、帰宅途中、ある家の前でふと足を止めました。
お庭の中のたくさんのバラの木。
一本の立派な深紅のバラにハッとして、目が釘づけになってしまったからでした。


眺めているうちに、なぜだか胸がきゅ〜ぅうんとうずき、切なくてしょうがないような気持ちが湧いてきました。
それは声なきバラですが、なんだかわたしに語りかけてくれているような気さえしたものです。


「がんばって」という励ましでもなく、ただただ胸の奥の痛みと共振していて「あなた痛いんでしょう。つらいんでしょう」と直面させられているような感じでした。


でもそこは恋心。この痛いのが、また何とも甘美な感傷を誘うのです。
仕事で悩んでいるのと、恋で悩むのとは、胃が痛くなるような気持ちは一緒ですが、この甘美さにおいて決定的に絶対的に種類が違うのですね。


わたしは胸をヒリヒリとうずかせながら、この発見になんだか愉快になってしまって、次に、同じお庭にあった、ピンクのバラに視線を映しました。


すると………あれれ??


なぜか、もうほとんど痛みを感じないのです。

さらにおもしろくなって(笑)、また深紅のバラに目を移すと、胸がきゅ〜ん。

…で、ピンクを見ると、やっぱり痛みが引く感じ。


深紅、ピンク、深紅、ピンク、深紅……と交互に視線を映しながら、自分の微妙な反応を試してみたのです。


  お、お、お、おもしろいっ! (^o^)/


気付け薬と鎮静剤を交互に飲んでいるような、保冷剤と保温剤の湿布を並べて貼っているような、奇妙な感傷の移ろいが味わえました。


(ちなみにパンジーとか、カーネーションなどでもやってみましたが、感傷反応はイマヒトツ。恋心にはやっぱりバラがいちばんでした)


これがわたしの発見した「バラで自分の恋心度がわかるメソッド」

これだけだと、深紅の薔薇は興奮効果で、ピンクのバラは沈静効果があるのか…と単純に思われるかもしれませんが、必ずしもそうではないようなのです。



…というのは……


それからずっとあとのことですが……、
わたしの愛してやまないマイダーリンと付き合い始めたころのこと。(^_^)

ふと、以前やった「バラのメソッド」を試してみようという気になり、ピンクと深紅のバラのある庭を眺めて、またまた感傷反応を見てみたのですね。
(しつこい探究心……(^^;))


ところが、なんということでしょう?!(←ビフォーアフター調に……笑)


今度はちっとも深紅のバラにシンパシーを感じないのです。
その代わり、ピンクの方を見ると、なんだかわけがわからないのだけれど「も〜しあわせ〜♪」って叫びたくなるようなハッピーな気持ちになったのです。

深紅のバラも、ピンクのバラも両方とも恋心が反応するようなのですが、どうも質が違うよう。


そこで、よくよく観察してみますと、深紅のバラには、片想いや報われない恋などの切なく狂おしい感傷をより深め、ピンクのバラには、大恋愛中の恋のハッピー感をより高めるような何かがあるのがわかりました。

そんなわけで、バラを味わい、自分の感傷反応に気づくことは、自分がどの次元の恋の状態にあるのかがよくわかってくるように思われます。

矢印

ピンクに近づくほどに恋の幸福感が高まり、深紅に近づくほどに切ない思いが強くなる。ハッピーで円満な恋ほどピンクに反応して、片恋や報われない恋などは深紅のバラにより反応しやすい。


また、この発見をさらに応用して、それが辛い恋で会った場合、恋の痛み軽減させたいのなら、ピンクのバラを眺めることでヒーリングとなることが考えられます。
また逆に、その痛みをともなった甘美さをじっくりと味わい深めたいのであれば、深紅のバラを眺めて、じんわりと感じてみるのも大人の恋の一興でしょう。


楽しい恋をもっとハッピーに感じたいときは、もちろんピンクのバラ。
逆に、今度は盛り上がりすぎた恋にうつつを抜かして仕事をさぼってしまいそうな時は、思い切ってさぼるか(笑)、深紅のバラを眺め、恋心を「冷ます」のではなく「落ち着ける」のもいいかもしれません。


アロマテラピーやバッチフラワー、あるいは漢方など、植物がヒトの心理や精神に与えている作用については、古今東西、知られてはいますが、こんなふうに、「バラ」が「恋心」に作用するとは、たいへん興味深いシンボリズムだと思います。


楽しい恋はもちろんのこと、たとえそれが報われない苦しいものであっても、恋を楽しめてしまう…という意味がわかりましたか?(^_^)

これなら、どんな恋であれ密かに楽しめて、だれかを傷つけたり、迷惑をかけたり…
…ってことは、全くないでしょう。



……それはそうと、恋には、なぜバラなのか??

カーネーションでもなく、コスモスでもなく、なぜバラなのか?


「百万本のバラ」の歌じゃあございませんが、昔から、男性が大輪のバラで女性を迎えたり、花束をプレゼントしたりするのは定番。

たしかに、これって恋心のシンボリズムの観点からも理に適っているから、恋を盛り上げようとするアイテムとして、男性も本能的に選んじゃうのかもしれませんねえ。(^_^)

花束をプレゼントされると、理屈抜きでうれしくなってしまって、女性側は断りにくくなる──

ってことは、実際にあるように思います。


なぜバラか?


次回は、そこのところを、もうちょっと踏み込んで考えてみたいなあって思っています。


…それは、ある女神の誕生の神話にまつわるお話です。


神話というのは、ヒトの心理(恋)と、実は深いところで繋がっているようなんですね。

そんな恋のおハナシは次回に。

お花から、心理から、身土不二から、神話まで……恋を縦横無尽に語ります。


どうぞお楽しみに〜♪

プリザーブドフラワー
深紅、ピンク、いつでも両方楽しめるバラのプリザーブドフラワー。わたしの秘蔵の鉢です(^_^)v。まあドキドキハラハラ感は生花には負けるけど。深紅は一輪でも訴えるものが強い。
posted by ミケ at 16:59 | 恋するタマシイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

美神アフロディーテの恋の狂気〜恋心に効くバラ2〜

アロマや漢方などの薬草が人の心に影響することはよく知られていますが、それと同じように、「恋」という特殊な(でもだれにでも起こる)心理状態とバラが関わりがあるなんて、フシギだけど、なんだかとても素敵な心の作用だと思います。


ところで、「なぜ恋心にはバラなのでしょう?」

前号では、そう問いかけたところで終わったと思います。

カーネーションやコスモスでもなく、なぜバラが恋する気持ちに効くのでしょう?

今回はこのことについて、神話のシンボリズムの観点から考えてみましょう。


    †


バラの誕生で有名なお話は、愛と美の女神アフロディーテの誕生神話でしょう。

アフロディーテは天の神ウラノスがその子どものクロノスに討たれたさい、切り取られた男根が海に投げ捨てられ、その時に出た泡から誕生したとされている女神。

そこから「泡(アフロス)から誕生した女神」という意味で名づけられたアフロディーテ、さらに一節では、神の男根が海に落ちた時にその血がバラになったともされ、バラと共に生まれた女神とも。

ギリシャ神話では、生まれたばかりの彼女を西風の神様がキュプロス島に運んで、そのとき神々が美神であるアフロディーテの誕生を祝福するために、バラの花を創造したとも言われています。


いずれにしてもバラの誕生秘話は、愛と美の女神の誕生と同時であったところに、また、それが神の男根から生まれたとするところに、バラの持つ恋の神秘の特性を暗示させる何かを感じることができますね。


バラとともに生まれたとされるアフロディーテは、言わばバラの化身。
彼女の神話の中の性質を、太古の人はバラに投影して感じていたのかもしれません。
またいにしえ人達には、実際にバラの中にアフロディーテが見えていたのかもしれません。

アフロディーテ神話をひも解くことで、バラと恋心の関連を探ることができそうな気がします。

そんなところからアフロディーテについて、もうちょっと見てゆくことにいたしましょう。


    †


アフロディーテは恋多き女神としても有名で、愛欲をかき立てて恋をし、あのエロスをはじめ、多くの父親の違う子どもを産みます。

神話には、彼女の恋にまつわるおもしろいお話がいろいろとあるんです。
軍神アレスは彼女の情夫としてもっとも有名。
夫がそれをたしなめるためにしかけた策略にはまり、密会していた二人がベッドを供にしているところをさらし者にされたりという、アンタほんまに神様かぃ?!とツッコミを入れたくなるようなシーンまで。


シリア王子アドニスに恋をしていたときは、彼の死の知らせを聞いて駆け出したアフロディーテ。
岩やいばらを踏みつけながら裸足で走り、白いバラの花を足裏の血で紅く染めたというお話もあります。
また彼の死を嘆き悲しんだ彼女の赤い涙で、白いバラが紅く染まったとも言われています。

いかにも情熱的なアフロディーテらしい逸話で、こちらも情熱の象徴「赤いバラ」の発現にふさわしいエピソードですね。


さらにアフロディーテはとある三女神をのぞいて、すべての神様と人間に恋心をかき立たせることができるというケストスというすごーい帯を持っていました。
(ケストス、ほしい……笑)

しかし一方で、自分より美しいと自惚れる者を断じて許さないという残忍さを現したお話もいろいろあります。


つまり、アフロディーテは恋愛の「狂気」を象徴している女神さまだと言えるでしょう。

まあ、恋というものは、だいたいから狂気みたいなもんだと思いませんか。

恋をすると、冷静で客観的ではいられない。
(そもそも冷静で客観的な恋なんて、もはや恋とは違うもの)

愛する人と、できるだけ長い時を一緒にすごしたいと願い、恋い焦がれ、何を見ても聞いても、彼(彼女)と重なってしまう…。

そんなとき、あなたの傍らにはアフロディーテが微笑んでいるのかもしれません。

そのむかし、恋のために国を捨ててしまった某国の王子がいましたが、恋愛の狂気というのは、ほんと一種の火事場の馬鹿力。
アフロディーテに捕えられると、ふだんは隠れているこの力の封印を解かれてしまうよう。


では、どうして人は狂気と知りつつ、恋に落ちてしまうのでしょう?
人はなぜ恋をしたがるのでしょう?

もう、これは問いかけるまでもありません。(^_^)


 “恋をしていると、人は「幸せ」を感じるからです。”



心が潤って、喜びに満たされるからです。

恋することの実感は、生きていることの実感に、そく結びつきます。
恋をしていると、「生きているなあ」とリアルに、さらに甘美に感じられるのです。
それは他のどんな感情でも代用できない、恋愛感情だけができる心理作用です。

だから本気でだれかを好きになったとき、人は「この人のために生きている」と思ったり、「この人のために死ねる」とさえ感じてしまうのです。

恋する人と笑い合っていると、タマシイが満たされるのです。
恋をしていると、タマシイが喜びに満たされてゆく実感が自身でわかるからです。

「歓喜、喜び」はタマシイの本質であり、喜びにふるえるとき、わたし達はこのタマシイの本質に触れてゆく心地がするのです。
「恋をする喜び」と「タマシイの本質である喜び」が、恋をすることで共鳴し合うのですね。

だから、人は恋をするというより、恋を恋います。
いいえ、タマシイの本質=ほんとうのわたし=に近づけることに、わたし達は恋をするのです。

こんなふうにタマシイにとっては、恋をすること自体、とても本質的なことなのだろうと、わたしは考えています。

(ちょっと、深いおハナシになってしまいましたが…)

だからアフロディーテという女神は、わたし達人間に、この上ない幸せのために、恋という狂気を与えたのではないでしょうか?
恋の狂気により、わたしたちは活気づけられます。


さてさて、ここでバラの話に戻しますと……

そんな恋の狂気の代表たるアフロディーテと神の男根を分かち合い、その血から咲いたバラ。
バラとは、アフロディーテの化身であり顕現といっても過言ではありません。

シンボリズム的に、物事を逆転させて発想してみれば、こんなふうに思えませんか?

さきほど、いにしえ人はバラの中にアフロディーテを見たのかも…と述べましたが、さらに、彼女が時には猛り狂い、または悲嘆に暮れ、さらに歓喜に恍惚となっているようすを、太古の人々は、バラから感得していたのではないだろうか?と。


「なぜ、恋心にはバラなのか?」の答えが、どうやらここに見つけられそうです。

バラの中に潜んでいるアフロディーテの情熱のゆらぎが、わたし達の恋心のゆらぎとして感受されるから、恋心にはバラが効くのでしょう。


すべての人間の恋心かきたてるアフロディーテ。
その顕現がバラとするなら、男性諸君、やはりここぞって時の勝負花はバラ。
ただし勘違いしていると、返って怒りを誘う怖れもありそうですね。(笑)

なにしろ相手は、美しき狂気の恋神アフロディーテ、なのですから。


     †


アフロディーテは別名ヴィーナス。
ミロのヴィーナスをはじめ、愛と美の女神アフロディーテは、恋心のみならず多くの芸術家に霊感を与えてきました。

Botticelli.jpg Cabanel.jpg

共に『ヴィーナスの誕生』。ボッティチェリ(左) カバネル(右)。
<画像をクリックすれば大きく見られます:とっても素敵ですよん♪>


彼女の誕生神話を描いた作品、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』はあまりにも有名。
わたしはカバネルの描いたヴィーナスの誕生も、いかにも肉惑的でアフロディーテの神話上の特性を的確に現していると思います。

名画も、恋のシンボリズムから鑑賞すれば味わい深いでしょう?(^_^)


そんなわけで今回はここでおしまいです。
アフロディーテ神話については、実はもっと考察したいことがあるのですが、あまり長々と書くのも飽きてきますから、とりあえずやめます。(笑)


次回もまた、恋することの本質を、ズドン!と突いたお話を、奇想天外にお届けしたいなあ。どうぞお楽しみに〜♪
posted by ミケ at 17:08 | 恋するタマシイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

恋を成就させる満月パワー1

今日は満月。
それも、ウエサク(五月満月)という一年でも特別の満月の日にあたります。

満月の日は、犯罪発生率が高いことは、ちかごろでは知られたことのようです。

また、とある有名占い師さんが、女は満月を見ると悲しくなるから見てはいけない…
とテレビでおっしゃっているのを聞いたこともあります。

なるほど…と、思います。


以前にも書きましたが、その昔、毒婦と呼ばれたルクレチア・ボルジアのように、夜な夜な、とりわけ満月の夜になると狂わんばかりに男を漁りに街を徘徊するという狼男の女性版のような、まるで月に惑わされてもいるかのような逸話も世界にはあります。

 *過去ログ参照:『夢見のレッスン』より「情熱とセクシャリティの体感」 


昨夜もベランダで、このウエサクの月をしばし眺めていたのですが、たしかに、怪し気な気持ちをかき立てられるような何かが、満月の中にこもっているような気がしてくるのですね。


それでもわたしは、満月を眺めます。
それによってわき起こる、自分の中の感情をじっくりと味わうために、あえて、好きで、満月を眺めます。


わたしは思うのですが、満月が危険だというのは、その作用に対して、わたしたちがあまりに無関心であるので、知らず知らずの間に、かえって月のパワーにふりまわされてしまう…
ということがあるのではないでしょうか?


意識的であれば、月のパワーはむしろ興味深く働いてくれます。
とくに恋するこころに。


自分の感情がもっとも鋭敏になる満月だからこそ、その感情に対しても、意識的に関わることができるのですね。


    †


ええっと、告白しますと、恋愛に限っていえば、実はワタクシ、ほぼ全戦全勝でして(爆)

(絶対数が極めて少ない…っちゅうツッコミはナシです…(^^;))


狙った獲物は逃さない……もっ、もといっ(笑)、好きになったら、相手に気持ちが届くということに、奇妙に自信を持っていたりするわけです。

言ってしまえば、この奇妙な自信とやらが現実を創るわけで。


そんなわけで、この奇妙な自信の作り方とも言い換えられるある方法が、実は、この満月パワーにあるのだと思うのです。


と言っても、世間でよくあるような恋愛の小技(テクニック)の話…じゃあございません。


わたしをよく知っている方なら、だれもがご存知なのですが、わたしはたいそう不器用なので、手練手管とか小手先とかが、めちゃめちゃ苦手なのです。
小技や裏技に神経を使うと、どうしようもなく疲労してじゃまくさくなってきてしまうんです。


かと言って、わたしはガンガンと攻めるタイプでは決してありません。
(まあ、こっちもわたしをご存知の方なら、よくわかってもらっていることなのですが)

小技が苦手で、攻めるのも苦手…という多くの女性と同じように、実に、世にもありふれた♀のひとりなのです、ワタクシ。いや、ほんまです。


小技でもなく、攻めもしないのに、なぜ恋愛成就するのか?

それこそが、この「奇妙な自信」。

満月パワーによって高められた恋愛に対する絶対的な信頼感…なのかもしれません。
(うう〜ん…エラソーやなあ〜……(^^;))


だから、満月パワーの使い方と言っても、小技や小手先のテクニックの話じゃありません。

小技や裏技、攻略的戦術(笑)というのは、むしろじゃまです。


あなたの在り方を変えてしまうかもしれないような、恋愛成就の抜本的解決法としての満月パワーの使い方を、今からお話したいと思います。

う〜ん、これは必読でっせ。(笑)


……ですがぁ 長くなりすぎるので、今回はここまでです。


つづきは次回にくりこします。
posted by ミケ at 17:19 | 恋するタマシイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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